どうして、水戸のまちを考えたいのか

1月末に、ちょっとジャカルタに一人で行ってきました。その後すぐ、米子、神戸、横浜を訪れました。まあ、仕事も絡んでいるせいで、あまりゆっくり出来ないのだけれど、それぞれのまちに、それぞれの雰囲気というか、香りとでもいう様なものが感じられて、特別な観光スポットに行かなくても、まちをうろついているだけで、結構楽しいかったです。

移動の道中、岡山のサッカーチームの代表の話を新聞で読みました。東大を出て、アメリカの大手金融機関に就職をし、エリートコースを歩んだのち、何故か今は岡山のサッカーチームの代表をやられているという、変な人です。この人が、会社に入ると、最初に研修があって、全世界から新入社員が研修生としてアメリカに集められたのだそうです。そこで、自由時間などに集まって話をすると、大体お国自慢大会になるのだけれど、自分の出身の岡山を、誰も知らないので、話が弾まなくて、とても寂しい思いをした、という話が書いてありました。全世界から集まっているのだから、日本について話をすれば良いのだろうに、と思うかもしれませんが、この人にとっては、あくまでも自分の故郷は「岡山」なのでした。

あー、そうだよなあ。ぼくは、この話にとても共感しました。そういやぁ、国内の都市なら兎も角、ジャカルタでも「ぼくの住んでいるのは、水戸っていうんだけどね・・・」と喋ってましたっけ。

何処にいても、いや、大きな世界、遠くの場所であればあるほど、自分のアイデンティティとして、故郷「水戸」が大切に感じられます。おそらく、ぼくだけでなく、多くの人がそのアイデンティティを語るとき、「故郷の町」は、かなりのウェイトを占めると思うんです。もちろん、その人のアイデンティティには、親であったり、友達であったり、学校であったり、様々な地域文化や職業等々、色々な要素があることは、百も承知なんだけど、生まれ育ったまち、住んでいるまちもその一つだと思います。

冒頭の話で、ぼくが訪れた場所は、インドネシア、鳥取、兵庫、神奈川という認識ではありません。ぼくにとっては、あくまでもジャカルタ、米子、神戸、横浜という、都市が場所の基準単位になっています。

そういう意味で、ぼくにとっては、水戸は特別な場所です。ぼくが子どものころ育ち、一旦離れたけど、また戻ってきて今生活している水戸、ぼくの子供たちが育った水戸は、とても好きだし、誇りに思いたいんです。「日本のために頑張って」と言われたら、「いや・・そんな大物じゃないし」と思うし、「茨城のために頑張って」などといわれても、「はぁ。。。」と曖昧に(実はやなこったと思っているけど)答えますが、これが「水戸のために頑張って」と言われちゃった日には、もう、二つ返事で「はい!!」と答えてしまいます。

ぼくのアイデンティティには、子供のころの水戸が深く刻まれているけれど、ぼくの子供たちはどうなんだろうか。。ぼくの子供だけじゃなくて、この先、水戸の多くの人たちは、どうなんだろうか。。。多分、過去20~30年は、まちの香りだとか、そういう金にもならんことを考えるような時代じゃなかったんですなぁ。でも、今、価値観の変容というか、構造の変遷というか、そっちが大切だと思えるようになってきた。ここらで、改めて水戸のまちを考えたいなぁ。